日本美術院研究所跡
2010.7.3 TOPへ
◇明治39年岡倉天心が日本美術院第一部(絵画)を北茨城市五浦に移転し、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らは家族とともに五浦に移り住んだ。写真は、日本美術院研究所の建物があった地点から見た「中磯」の景観である。この4人は、修行のようにこの崖を見ながら天心の指導により切磋琢磨し、製作に励んだという。
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